故人のご冥福と、ご遺族の平安をお祈りします。
そして、今の自分の気持ちをまとめます。
今日は早くに目が覚めた。
仕事がある日でもぎりぎりの時間に起きる自分としては、珍しいことかもしれない。
昨日体調が悪くて早く寝たということもあるだろう。
今日、2020年7月18日はあの事件から1年という節目の日だ。
節目だからと言って、自分の気持ちは変わらない。
祈りを捧げて、普段通り過ごせば良い……そう思っていたけど、京アニが追悼の場として用意してくれた動画をみて、気持ちがぐちゃぐちゃになりそうだったので文章として残そうと思う。
あの日は何もない日だったので、今日と違って昼前に起きたのを覚えている。寝起き眼ながらスマホを手にとって、twitterを開いて事件のことを知った。
「単なるボヤ騒ぎだろう」最初はそう思って、昼食の準備を始めた。食後に再びtwitterを見て、事の重大さを知った。
今この文章を書いているのは、ちょうどその時と同じくらいの時間だと思う。当時のことを考えると、自分の中でじわじわと不安が募り、広がっていく感覚が鮮明に思いだされる。やはり気分の良いものではない。
あの頃と比べて、自分を取り巻く環境は大きく変わった。環境が変わる中で、京アニに対する想いは変わらないけれど、事件に対する思いは少し変わってきていた。
自分の話ではあるが、今やっている仕事はとても楽しい。情熱を持って取り組める仕事、職場につけて本当に良かったと感じている。
まだまだ新米だが「技術を活かして多くの人の役にたつ」という事の足がかりに、ようやく手が届いたという感じだ。これから多くの苦難や試練はあるだろうが、自分がどういう存在になれるのかという期待も同時に感じている。
いわば、良い意味でも悪い意味でも、将来を思う時間が増えたのだ。
そして同時に、彼らも同じ気持ちで仕事に取り組んでいたのだろうと、より強く感じるようになった。それはとても辛く、悲しいことだ。
第一線でのアニメーションの仕事というのは、生半可な覚悟では務まらないだろう。
私が心踊らせ、感動を覚えた作品の裏では、彼らの人生をかけた努力が詰まっていた。それは様々な媒体で彼らが語っていた言葉からも見てとれる。
犠牲者の中には、一年目の社員の方もいた。彼女も将来に大きな期待と不安を持っていたと思う。彼女の無念を思うと、いつも涙が止まらなくなる。
私がその仕事ぶりに思いを馳せたアニメーターの方たちも、これからもっと素晴らしいものを作り続けていたはずだ。私たちがそれを見たいと思う気持ちより、彼らがそれをなし得なかったことへの無念を思うと、いつも胸が苦しくなる。
配信された追悼式では弔電が3つ、紹介されていた。
匿名ではあるが、今まで一緒に制作に関わってきた方の言葉なのだろうと感じられた。
紡がれている言葉に、とても多くの感情が含まれているのを感じた。
追悼式での弔電では以下のような言葉が紡がれていた。
「何事もなければきっと今も一緒に作品を作っていたであろうと思います」
「もう共に作品を作ることはできませんが、その「志」を繋いでいくことはできます」
「そしてその「志」を繋いでいく多くの仲間がいます」
強い意志を感じた。同時に一ファンとして、その「志」を深く受け止めた。
以前も記事で述べたが、やはり一番辛いのは彼らなのだ。共に歩み、苦楽を共にし、作品を作り続けてきた仲間を、理不尽に失った時に感じた気持ちは、私にはとても想像できない。
理不尽な現実を突きつけられても、京アニは前へ進もうとしているのだ。これにはやはり勇気づけられ、励まされた。
一ファンであり赤の他人である私が、どれだけ悲しんでも何も変わらない。以前から言っている通り、この気持ちは変わらない。何もしても過去に起こった現実は変えられない。
明るい未来を想い、今ある作品とこれから生まれる作品をより楽しむことが、何よりの支援に繋がると信じている。それが私の「志」だ。
追悼式では最後に、こう紡がれていた。
「これからも皆さまに、夢と希望と感動を育むアニメーションを届けて参ります。どうか見守っていただけますと幸いです」
これからの京アニの永い歩みを、私はずっとずっと見守っている。そして京アニを想い続ける。
あらためて、故人のご冥福とご遺族の平安をお祈り申し上げます。どうか、安らかに。
そして、これからの京都アニメーションのさらなる飛躍を信じて。