まいにちくらくら

アニメの考察感想とか

言熱

誕生日になると、とても大切な、特別な手紙をくれた人のことを思い出します。

 

去るもの追わずと言いますが、引っ張られるのが人というものです。

 

気持ちの整理をつけるため、記事として発散しようという魂胆です。

 

 

一昨年の末、その時気になっていた異性に振られました。

といっても直接的にNoと言われたわけではなく、恋人ができたと知らせを受けたというのが正しいです。

 

過程を話すと、まあ色々ありまして。

 

まずその相手とどんな関係だったのか、というところからですが、私の認識としては文通相手のようなものでした。お互いの近況報告をしたり、悩み相談をしたり……。内容は書きませんけど、実際文通まがいのことをしていて……。

心地よい関係でしたね。なかなかそういう友人って距離が離れていないと作れませんから。

 

で、そんな関係が2年ほど続いていたのですが、一昨年の夏に会う予定を立てたんです。

私は自分の容姿にも声にも自信がありませんから、実際にあってどうなるんだろうと思いながらも、決心をしていました。

 

もし実際にあっても私のことを受け入れてくれるなら「恋人になってくれませんか」と言おうと。

 

正直なところ、その時相手に対して、ものすごく強い恋心があったわけではありません。ただ文通を通して、良い意味でも悪い意味でも今まであってきた中で一番純粋なその心、人間性に対して、魅力を感じていたのは事実です。そして同時に、不安定で、とても傷つきやすい人なんだなとも感じていました。

文字という媒体ではなく、実際に顔を突き合わし、音で、実際の声を通して感情をぶつけても、今までのようにお互い自分のことを赤裸々に話せるのか、というのは気になっていました。もしそれができるのなら、一歩踏み出してみようと。

私の勘違いでなければ、それは相手も同じのようでした。

 

ただ、結果として、その夏、私はその人に会えませんでした。

 

お互いに同じ目的ある場所にいく必要があり、その日相手だけその場所に行けない理由ができたからです。

相手はとても落ち込んでいました。文字を通しても、その悲しみはとても大きかったんだと今見直しても感じます。その時の相手の置かれている環境は非常に大変なもので、私自身、放って置けないと思うほどでした。今思えば、これが「恋心」だったのかも、とも思います。

 

ただ、その時かくいう私は残念さに混じって、少しほっとしたのを覚えています。相手が悲しむ気持ちはとても辛かったですが、会えないことに関しては次があるだろうと考えていたからです。

まあ少し先延ばしになっただけだろうと。今自信のない自分で会うより、もっと自分のことを好きになれて、堂々と会える時がくるだろうと思っていました。

 

 

でも、そんな機会はその後訪れませんでした。

 

 

まあかなり色々あり、会うと約束したその日、お互いに同じ目的別の場所で果たすことになりました。

結論から言えば、その際相手側は別の人間数名とその場に居合わせておりその場で初めて出会ったその中の一人と今恋人関係にあります

 

その日を境に、相手の心が自分から離れていくのを文字を通して感じていました。見返すと本当に徐々に、徐々に。話の始まりはいつも大体あちらからだったのに。自分の言葉に対して、もっと多くの言葉で返してくれていたのに。

 

相手の綴る文字から熱が消えていく。

 

そんなことを経験したのはこの時が初めてでした。

 

行き場のない想いが自分の中でぐるぐるします。

 

運命を呪うしかないでしょう。

 

だってその時、当初の予定通り、同じ場所同じ目的を果たせていたら、こうはなっていないのですから。

 

お互い会った結果がどうであれ、このような後味の悪い思いは、後悔はなかったでしょう。

 

自分を責めるのが一番手っ取り早かったですね。

 

もし本気で相手のことを想っていたのなら、もっと早く動くべきだったでしょう。

自意識過剰かもしれませんが、一昨年、誰よりも早く新年を連絡をくれ、誰よりも早く誕生を祝ってくれたその人の想いに気づくべきでした。

 

人が綴る文字には熱量があって、それは書いた人間とそれを読んだ一部の人にだけ伝わると思っています。それは、実際にかいた文字だけじゃなく、キーボードで打ち込んだ電子的な文字だとしても、文の作りやリズム、語尾や付け加えられた言葉によってそれは伝わると信じています。それが日本語の良さの一つだとも思っています。

でも、どんな文であれ、伝わるその熱量の度合いは、読み手に委ねられます。

 

勝手な解釈ですが、手紙を見返していて、その人はずっと支えを求めていたのではと感じていました。だとしたら、今が心地よい関係だからと、現状維持でダラダラしていた私が悪いです。その時の熱量を汲み取れなかった私が悪いです。

 

 

 

「この文字を書いた時、何を、どう想っていた?」

 

今その人にそう問えたら。こう思い続けてもう1年以上が経ちました。時折もやっとした感情が押し寄せてきて、後悔の念に駆られます。

当時書かれた文を指差して、色々聞いてみたい。冷め切った感情の中でも、そんな欲求はまだ自分の中で残っています。でも、そんなことを聞ける勇気はないです。その文字を綴った当時、相手がどう思っていたとしても、自分が傷つくのは変わりないので。

 

もうその人と私は多分、友人でもなくなっていると思います。

 

全ての発言が鼻につく。純粋だと思っていたその人間性に残酷さを感じ、浅慮だなと見下してしまう。

そんな自分に嫌気がさします。言葉を交わすこともめっきり減りました。

 

いつも後悔ばかり。すぐ動かなくて結局損をする。私の悪い癖です。でもこの歳になっても変わらないこの短所は、多分自分の個性なんでしょう。天寿を全うするまで、付き合っていくしかないですね。

 

 

昨日、もらった文を読み返しながら、当時を思い出し、時には笑いながら、最後には泣きそうになりながらもこの文を綴りました。

 

この呪いを解くには、手紙を捨て去ってしまうのが一番なんだと思います。去年も今年もそうしようとして、結局私にはそれができませんでした。

 

今がどうなっていようと、その時込められた熱を、文字から感じてしまうからです。

今なら、当時以上に感じ取れるからです。