シンエヴァいろんな考察記事が上がってますが、私自身がそれらに目を通す前に、個人的な考察や見直したい点についてまとめました。
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- ポカ波の行方
- お前が望まなかったひとつになる世界
- 旧劇との対比
- 第13号機のパイロット
- 渚司令
- エヴァンゲリオン初号機パイロット 碇シンジ
- シキナミシリーズのオリジナル
- 手を取り合うラストシーン
- おわりに
舞台挨拶を見る前にあげたシンエヴァ雑感はこちら
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ポカ波の行方
新劇場版:破で「シンジが助けた」レイであり、新劇場版:Qでヴィレの面々には「もういない」と言われていた通称ポカ波。
なんと、封印された初号機の中にずっといたことが明かされました。初号機の中にいたあの髪の長いレイですね。
「碇くんがもうエヴァに乗らなくて良いようにする」という願いを叶えるために、ずっと初号機の中にいたわけです。
新劇場版ではポカ波が綾波レイの統合元であり、Mark.9に乗っていたアヤナミタイプ、通称黒波の意識も統合されているようです。
これは物語終盤、各キャラクターの補完を描くところでシンジと対峙した際、つばめと書かれた人形を抱いていたことから読み取れますね。
シンジが「もう一人の君は居場所を見つけた」みたいなことを言っていましたが、これは黒波が第3村という居場所を見つけたことを指していると思います。
TV版の最終回にもある(レイが転校生として描かれた一連のシーン)ように、綾波レイが普通の人間として生きるには「エヴァのない世界」である必要があり、"綾波レイ"という存在を補完するためにも「世界の新たな創生、ネオンジェネシス」が必要だったといえます。
一緒に見た友人に「え?そういうこと?」と言われましたが多分こんな感じだと思う
お前が望まなかったひとつになる世界
物語終盤、シンジとゲンドウが対話する場面でゲンドウが「お前が望まなかったひとつになる世界だ」と言っています 。
この「お前が望まなかったひとつになる世界」とは、旧劇で示された「ATフィールドを失った 自分の形を失った世界」であると考えられます。つまりは補完計画が遂行された場合になる世界です。
上で示した場面は旧劇のワンカットですが、これと同様の構図の場面がシンエヴァにもありましたね。(あったよね?)
ゲンドウがなぜ「シンジがあの世界を選ばなかった」ことを知っているのかは定かではないですが、旧劇であった事象も「繰り返される円環の物語」に含まれているわけですね。
虹彩が紫になったシンジ、使徒と同等になったゲンドウはカヲルと同様、「繰り返される円環の物語」を認識できるようになったのか、あるいはマイナス宇宙やゴルゴダオブジェクト内では誰でもそれを認識できるようになるのか……。真相がわからなくとも考察するのは楽しいですね。
旧劇との対比
旧劇でもシンエヴァでも「すまなかったな、シンジ」というゲンドウのセリフが出てきます。
旧劇ではゲンドウは初号機に食われる描写がなされますが、シンエヴァでは幼いシンジと目線を合わせて抱擁をします。
また、旧劇、TV版ではシンジは「もっと僕に優しくしてよ!」と嘆きますが、シンエヴァでは「なんで僕に優しくするんだよ……」といいます。泣きポイントですね。
また、旧劇のユイは初号機の中で、永遠に人の生きた証として存在し続けることを選びましたが、シンエヴァではシンジを初号機から追い出しゲンドウとともに眠りました。
対比が効いていて良いですね。
対して、自分の存在理由を知る、という点については、旧劇、シンエヴァ、ひいてはTV版の最終話ともに同じですね。
第13号機のパイロット
使徒化した弍号機と対峙した際に第13号機にはシキナミシリーズのオリジナルが乗っていましたが、よく見るともう一人乗っていることがわかります。
そういえば私は言われないと永遠に気付けなかった自信があるのですが、第13号機の中にはもう一人乗ってます。見つけられた方すごいですね・・・#シンエヴァ #シン・エヴァンゲリオン劇場版
— (株)カラー 2号機 (@khara_inc2) 2021年3月25日
公式さんもこんなこと言ってましたw(カラー 2号機さんゆるくてすき)
そこで2回目の時よく見てみたんですが、アスカの足元にカヲル君のシルエットがあるんですね〜。アスカが「シングルエントリーじゃなかったの?!」と言っていましたが、ゲンドウが乗り込むまではシキナミシリーズのオリジナルとカヲル君が乗っていたわけですね。
このカヲル君はポカ波同様プラグ内に残された魂のようなものなのか、それとも旧劇のとき量産機に挿入されていたカヲル君のダミーシステムのようなものなのか定かではないですが……。
それにしても裏コード999からの流れは盛り上がりましたね……。作画もすごかったし……いや全編すごいんですけど……。
渚司令
渚、司令????え、なにそれは……?
初見の時誰もがそう思ったであろう場面です。舞台挨拶でも「これ、誤植じゃないんですか?」みたいなことを聞いたと加持役の山寺さんがおっしゃっていて笑い話にしていました。
初見の時は数ある可能性の中でそういう時もあったんだなと解釈していましたが……。
シンエヴァをみた後、破を見直したら予告で上のような場面があって「……?これって……」となりました。
ここの服、司令っぽい服着てません???
予告ではこんなカットもあるので、ゲンドウと冬月が留守中に司令となり、その際にシンエヴァで描かれた加持との会話をした、とも考えられます。
まあ、こじつけのようなものですが……。(そもそもその影なんだよってなりますし、8+2号機も出てないんだから)
それとは別に、カヲル役の石田彰さんが舞台挨拶でおっしゃっていた、「物語を動かす役割を持っていた加持とカヲルが最後に一括りにされた」という解釈がものすごく好きです。
カヲル君は、エヴァという物語が終焉に向かうことでようやく解放された、という解釈ですね。いやすき。
エヴァンゲリオン初号機パイロット 碇シンジ
「僕は……エヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジです!」
新劇場版:破、及びTV版第拾九話「男の戰い」でのセリフです。
シンジくんのセリフで一番有名なセリフではないでしょうか。
(TV版と新劇で若干セリフが違いますが)
シンエヴァのクライマックスは海辺で座っているシンジをマリがエヴァに乗って迎えにくるという流れです。
ここでシンジを取り巻く世界が徐々に線画となっていく演出がなされますが、これは「シンジの精神世界が消えていくこと」を意味していたのかなと思います。
今作のラストの考察を含みますが、ネオンジェネシスを行ったことでシンジは一人だけ「あの世界」に取り残されることになったのかなと思います。
そこにマリが助けに来た、という流れですね。マリが言った「間に合った」という意のセリフにも合致します。エヴァ8号機が消えたあと、マリが制服姿になっていたのも精神世界であることの裏付けにもなりますね。
その後、場面が変わって宇部新川駅で大人になったシンジとマリが描かれるわけですが、この時のシンジの声が緒方さんから俳優の神木竜之介さんに変わっています。
ここで見出しを思い出して欲しいのですが、この時のシンジはもう「エヴァンゲリオン初号機パイロット」ではないんですよね。対岸のホームにいた、アスカ、レイ、カヲルももうパイロットではないわけです。
シンエヴァ本編序盤で、寝るフリをしていたアスカが最後に「今、寝てた……?」と言ったのも、パイロットでなくなった=エヴァが無くなったことにつながると思います。
舞台挨拶で緒方さんは、作中でシンジの最後のセリフをいえなかったことから「作品に取り残されたような感覚だった」というような発言をされてました。
これには「エヴァのパイロットとしてのシンジ」はずっと作品の中に居続けるという意があるのかなと思います。
新たに創生された世界にいるシンジは、もう作品の主人公ではないということですね。
緒方さんが「作品の中にずっといる」と言っていて、それが素敵だったのでこの考察に至りました。
シキナミシリーズのオリジナル
第13号機に乗っていたのはアスカ(シキナミシリーズ)なのは確かです。
現状、それが惣流なのか他にいる"オリジナル"なのかよくわかりませんね。
ただ、アスカの補完シーンで過去が語られる際、数多くのシキナミシリーズが徐々に減っていく描写がなされていました。
その時に"2人"残っているんですよね。(いや多分……そうだったと思う)
なので、シキナミオリジナルの意識が乗ったクローン体が第13号機に乗り込んでいた、というのも考えられると思います。
もしくは侵食する時のみ、オリジナルの意識が出てきたというのも考えられます。
Mark.10等の「アダムスの器」たる「エヴァオップファータイプ」には「アドバンスドアヤナミシリーズ」が乗っていたと考えられるので、第13号機に乗っていたシキナミシリーズも「アドバンスド」である可能性もあります。
手を取り合うラストシーン
シンジとマリが手をつないで階段を上がっていき、宇部新川駅周辺の空撮に繋がりエンディング、というのが今作のラストシーンです。
ここで良いなと思ったのが、最初はマリが手を引いているが、最後に階段を上がるところはシンジが手を引いていること。
最後にシンジが他人の手を引いて歩くというのが感慨深いです。Qでも旧劇でも誰かに手を引かれてばかりだったのに……。
旧劇でも「他人の象徴」であるミサトの十字架ペンダントをみたことで「全てが溶け合う世界」を否定し、「ありがとう」と言って綾波の手を握るシーンが印象深いです。
漫画版ではこの場面で
「つないだ手はいつか離れてしまうかもしれない。でも僕はもう一度君と手を繋ぎたいんだ」
というセリフとともに補完計画が否定されます。
手をつなぐという行為は旧劇、漫画版、シンエヴァ通して重要な描写として描かれているわけですね。
おわりに
マリについてはわかんない……!!イスカリオテのマリア??胸の大きいいい女だからこまけーことはいいんだよ!!って感じです。
プロフェッショナルを見ると庵野監督の妻、モヨコさんがモデルなのかな?って思いますが、鶴巻さんが作ったキャラみたいですしね。
エヴァを綺麗に終局させるためにできた作品の外から来たキャラクター?みたいなのが一番しっくり来る感じなんですかね?
とにもかくにも、シンエヴァは旧劇をみていると2倍にも3倍にも楽しめる作品です。
私もシンエヴァをみてから旧劇4回もみちゃいました。砂浜に寝そべるアスカに始まり、演出や描写も旧劇を彷彿とさせるものが多かったため、旧劇を見直すことでシンエヴァを違った視点でみることもできます。
旧劇は後味の悪い映画ですけど、ゾワっとする演出や超絶作画、心地の良いカット割りもあり、やはり好きな作品ですね〜。
庵野監督らが登壇する舞台挨拶のライブビューイングのチケットが取れたのでまた見直すのが楽しみです!