前回は答えのある議論について書いた。
今回は「答えのない議論」について考えていく。
前回
eveydayanime-9rakura.hatenablog.com
答えのない議論とは、結論が出ない議論のことだ。
具体的な例がないとなかなか想像しにくいが、オタクであれば割と頻繁に出くわすのではないだろうか。
例えば、
「ワールドトリガーで一番すきなキャラ誰?」
この問いに対する答えはおそらく十人十色だろう。 もしくはそんな漫画は知らないという不届き者もいるかもしれない。
ともかく、何かしらの作品の推しキャラを語り合うのも、いわば議論である。ただしこれには明確な答えはない。
これが答えのない議論である。
各々、そのキャラのどこがすきかを語り、何故すきなのかを説明する。熱が入れば、そのキャラが活躍する回や今後どうなってほしいかなど、ネタは尽きないだろう。
ただ、これは自分の意見を言い続けるだけにもなりかねない。
答えのない議論には「答え」はないが、相手の「納得」を得ることを忘れてはいけない。
答えのない議論は、大喜利のようなものであるとも言える。
大喜利も、あるお題に対して、各々がより良い答えを出すために意見を披露しあうものだ。
このように「もともと答えのないもの」について、議論をするのも面白いと私は考える。
実際にあった例で言えば、「ドラゴンボールを俯瞰したら中にある星はどう見えるのか」というものだ。
ドラゴンボールは、水晶のような球の中に規則的に星が並んでいるといった形状をしている。作中では(多少の違いはあれど)水晶の中の星は毎回同じ並びをしている。
中にある星は二次元的に見れば、五芒星(あっているかわからない)、つまり★だが、これが三次元になったとき、どの方向から見ても常に★が見える立体であるとも考えられる。
そんなものがあるかはわからないが、どうやったらそう見えるか、というさらなる議論に発展する可能性もある。
もしくは、作中では毎回星が上手く見える向きでしか描写されておらず、本当に平面的な星で俯瞰してみたら線が見えるだけ、というようなものかもしれない。
(鳥山明は適当なので)これには明確な答えはないし、なんの生産性もないが、会話のネタとしては、悪くない議題だと感じた。
大喜利で優れた回答が賞賛されるように、友人間で行われた「答えのない議論」で、他人を「納得」させることができたとき、それはとても気持ちの良いものだと言える。
単純な会話でもそうだが、独りよがりな意見は歓迎されない。議論かどうかは関係なく、他人を納得させられるような意見を言えるようになりたい。
アトガキ
そこが議論をする場であるなら、答えがあったほうがもちろん良いですが、友人間の話題のネタとしては「答えのない議論」の方がすきかなと思います。
とはいえ、ウミガメのスープや多人数でやるフェルミ推定のような、ゲームとして議論を用いるものには明確な答えはありますし、一概にどちらが良いとは言えませんね。
明日は今回何度も出てきた「納得」について書きたいと思います。
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